神山生活卒業3年目

生まれも育ちもコンクリートジャングル40代。夫と8歳娘と8年四国の山で過ごし、その後下山。

「タフでなければ山には住めない」ということが、8年かかって分かった。

当ブログはつい先日まで「神山生活○年目」というタイトルで細々も細々と続けておりました。

その神山での生活が9年目に突入した2022年、山を下りることになって神山生活を卒業したため、今の「神山生活卒業1年目」という説明されなきゃ分かるわけねーだろのブログタイトルになった次第です。現在、徳島県の市内に居を構えています。

 

「神山」というのは徳島県神山町のことで、以下の記事にあるように「地方創生のロールモデル」と言われたり、2023年には高専の開校も決定している、ちょっと特殊な限界集落です。

wirelesswire.jp

 

昨今「都会から地方への移住」というのはメジャーなテーマになっていますが、自分がまさにそれで、東京で生まれ育った人間が突如四国の山の中へ引っ越し、なんだかんだあって、、、

そのへんから書き出すとどえらく長くなりそうなので、そのへんのことを書いた記事を貼っておきます。8年前か、なつかしい。dannao.hatenablog.com

 

下山(市内へ移り住んだ)の理由

「いつまでここに住むのだろう」という長らくもやもやと抱えてきた問題に答えを出さなければならなくなりました。

というのも、神山に来てから生まれた娘が「来年小学校に上がる」というタイミングを迎え、「ここで何かしらの決定をしなければ向こう10年(小学校6年+中学校3年)は動けない」という現実に直面したのです。

厳密に言えば「動けない」ということはなかったのですが、小学校や中学校生活の途中で引っ越しをするのは、やむを得ない事情がない限り避けたいと思っていました。

住んでいたのは借家で、「○年契約」といった約束は特になかったのですが、県外在住の大家さんに「いずれは(神山に)戻りたい」という意向があることは認識していました。

つまり、「未来永劫この家に住むことはできない」ということは最初から分かっていたのです。

ただ、移住した当時は子供もおらず、夫と二人、半ば思いつきと勢いで移住したところがあり、数年先の未来までは全く思い描いていませんでした。

 

理由1: 山の過酷な環境が体に影響を及ぼすようになった

これには複合的な要因があります。

まず、家自体が古いため、気密性や耐寒性が乏しかったことがあります。

借家の中では、かなりメンテナンスされていて状態がよかった方ではありますが、幾度もの増改築が重ねられてきたと思われ、築100年、それ以上にも見られる部分も多く残っていました。

サッシが入っていない部屋が半分ぐらいあり、あらゆるところから隙間風が入り、冬には室内でもダウンを着て、手袋をしてキーボードを打っていました。

そう、四国は日本の中では南の方にありますが南国ではなく、冬は雪が降るほどしっかり寒いのです。

また、川がすぐそばにあることもあって梅雨時期の湿度が異常に高く、ハイスペ除湿機を導入し、あらゆる部屋に業務用サイズのサーキュレーターを置いて24時間ぶん回していました。

上記の状況は移住当初からそれほど大きく変わっていないのかもしれません。家屋の劣化があったとしても、この家の長い歴史からすれば8年なんてあっという間でしょう。

 

しかし、その間に住む人間は少なからず年を取り、過酷な状況に心身が疲弊していきました。

 

「家を直せばいい」、もちろん考えなかったわけではありませんが、おそらく問題を解決するには莫大な費用がかかると思われ、そこからいよいよ「ここにいつまで住むんだっけ」という問に向かい合うことになります。

 

理由2: 子育てに関する問題

娘は2歳半から、近くの保育所に4年間通いました。

「過酷な環境」と前述しましたが、子育てに関してはとても良い環境で、夏には家の前の川で遊んだり、お菓子の卸をしている近所のおばちゃんに軽バンで配達に連れて行ってもらったり、いつでも泣き叫び放題、可愛がられ放題で感謝しかなかったです。

特にコロナ禍においては、保育所の自粛期間中も自宅の庭でキャンプごっこをしたり、誰もいない川原でお弁当を食べたり、おおよそ都会では不可能であっただろうストレスフリーな日々を送ることができました。

プライベートリバーサイドにてランチ

一方で、子供が成長するにつれ、習い事などで下山する頻度も高くなっていきました。

それでなくとも親が都会のコンクリートジャングル育ちなので、休みの日にガチキャンプや釣りをするといった山のメリットを存分に活かせることもほとんどなく、映画を見たり、買い物に行ったりなどで下山することが多かったように思います。あ、ここで言う下山というのは「車で街に出る」とういことです。

週の半分以上、ワインディングロードを片道40分〜1時間運転。習い事をハシゴする日もありました。運転中に睡魔に襲われることもあり、「これいつか事故るな」という思いもよぎり始めました。

保育所の同級生とは、少ない人数ゆえに強い絆も生まれ、お泊り会をしたり、誰かの家に集まって一日中遊んだりということが頻繁にあって、とても良い関係を築くことができたと思います。保育所の卒業式は泣けました。

親同士も同様で、娘の学年は大半が移住者ということでなんとなく同族意識感もあったりして、みんなでワイワイと子供らの話をするのがとても楽しかったです。

同級生ほぼ全員が同じ小学校に上がり、おそらく中学校もそうなるでしょう。どんどん離れがたくなるのは必至。

 

ならば今、このタイミングしかない。

 

後ろめたい気持ち

「子供が大きくなると家族で山から離れてしまう」というのは神山町に限らず、地方のあるあるだと思います。神山町には学校が少ないために、やはり子供の進学のタイミングで家族で引っ越すということが多いようです。

神山町は町を消滅させないために、計画を立てて人口減少に歯止めをかけようとしています。

そんな中、自分たちも出ていくことに。

「お前らもか」

そう思った人もいたのではないかと思います。申し訳ないし、そう思われても仕方がないです。

友人やお世話になった方々に引っ越しの報告をするのは心苦しかったのですが、地域の取りまとめ役で、移住当初からずーっと面倒を見てくださっていた方に報告した時のことです。「大変お世話になったのに出ていくことになってしまって申し訳ない」という旨を伝えると、

「そんなことはいいんよ、今までいてくれてありがとう」

と言ってくださって、心底ほっとしたのと同時に、そんなふうに言える計り知れない器の大きさに感激しました。

その後誰に報告しても「そうか、残念だけど仕方ない」という言葉や雰囲気がありました。人口の流出は誰もが認識している問題で、それが起きてしまうのも仕方がないと感じているようでした。

現在神山町にある唯一の高校である徳島県立城西高校神山校は、独自性のあるカリキュラムが魅力で年々入学希望者を増やしており、今や全国から生徒が集まっています。

また、冒頭でも触れたとおり来春には神山まるごと高専が開校予定で、すでにこちらも全国に入学希望者がいると聞いています。

人口流出のトリガーになっている進学の問題について、近い将来目に見える成果が現れるはずです。

大好きな近所のおばちゃんと散歩する娘

ここにいてよかったんだと思えた出来事

隣の家には高齢のご夫婦がお二人で住んでおり、本当に穏やかで優しい方々だったのですが、我々が数ヶ月後に引っ越しというタイミングでおじいちゃんが亡くなりました。

おばあちゃんについてはこちら↓参照。

dannao.hatenablog.com

 

お線香をあげさせてもらった際に、普段は離れて暮らしている息子さんに初めてお会いしました。

こたつに入ってお茶をいただきながらおじいちゃんの思い出をしていると、

「子どもである自分がそばにいなかったのに、近くで暮らしてくれてありがとうございました」

と涙ながらに言われたのです。「父がよくあなた達の話をしていた」とも。

そんなことを言われるとは夢にも思っていなかったので驚きました。が、その息子さんの一言で、「ああ、神山に住んでいてよかったんだ」と、ひっかかっていた胸のつかえが下りたような、救われたような気持ちになったのでした。

 

「タフでなければ山には住めない」

自分の言っている「タフ」とは具体的にどういうことだろうと今一度整理してみると、

  • 山の気候に耐えうる丈夫な身体
  • ショッピングモールに行かなくても様々なものを自前でまかなえるDIY
  • 自然のエンタメを楽しめるポジティブ&アクティブさ

ということかなと思います。

神山に8年住んで、これらが備わっている、もしくは得ようと努力できる人が山に長く住み続けられるのだということに気づいたのでした。8年住んで。

 

圧巻の大久保の秋

 

引き続き山に通います

住居は移動しましたが、私の職場も、借りている畑も、友人も神山にあります&います。

引っ越してからも、娘の成長を喜び、お菓子やお小遣いを用意して待っていてくれる人たちはもはや親戚です。

神山の町にも人々にも本当にたくさんたくさんお世話になりました。感謝を忘れず、これからも繋がり続けて恩返しをしたいと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。